昭和43年10月31日 夜     途中切れ

 ここ一日か、ご結界を立ったりしゃがんだりで、なんかいろいろこのようにですね、できなかったんですけれども、善導寺の一つはあの、式年祭がありますから、あっち行ったり、こっち行ったりして、ほんとの落ち着いてのご結果奉仕ができなかった。
 ところが今日は、まぁ、何ちぶりかで、しみじみご結界の有り難さを感じさせて頂いた一日でしたが、うーん、ほんとにあの、打ち込んで座らせて頂きますと、おー、便所に行きたいと思うても、便所に行く時間でも、ここを立つのがおしいというような、今日は一日でした。

 昼、おりましてから、新聞を見せて頂いた。4月生まれの人の欄のところに、「あれを思い、これを思い、ね、幸せを、充実した幸せを感じれれる日」ということで、出ておったんですよね。確かに私が、感じたところをそこに書いてあった。

 只今私あの、うーん、茶の間から御祈念に出てくるときに、11月にかえられてあるあの、選外?さんの、あの、おー、カレンダーを頂いております。で、かえられておるのに、幽霊みたいなだるまさんが書いてある絵が出ておる。その、だるまさんのさんに、こう書いてある。「だるまの化け事、化け物を見てくんなんせ」と書いてある。
 博多言葉ですね、選外さんの書く(    )。「だるまの化け物を見てくんなんせ」と書いてある。ね、私はその小さい意味はわからないけれども、ね、いわいる、ぜんの坊さんのことでございましょうけれども、ぜん坊さんに、の、まぁ言うならば、あー、ひとつの皮肉なことで、ことを書かれたのではなかろうかと、思う。

 ね、(ふうし?)的な絵を描かれるのが得意ですから。例えば、あー、ぜん坊主と、おー、座りかぶは、あー、座りがいいのがよいのだと言ったような絵を描いておられたことがあったですね。
というように、ぜん坊主でありながら、座禅を組むことをいとうような坊主は、もうそのままだるまの化け物だ、と言うような意味に私は感じたんです。ね、同じくこれは、御道の教師にとってもそれが言えると思う。ね、金光様のいわばお手代わりと言うて、どう金光様のいわいる化け物が、たくさんおるのじゃなかろうかと。ね。

 そりゃもう、あちらの御用、こちらの御用と。まぁ御用、御用で、御用で私はそれこそ、奉仕していうならば、(   )の役員ではあるまいし、ね、御用、御用、御用はもうここ、畳半畳よりほかに無いのだと。ここに座る以外にないのだと。もし私共が、立って歩くことを御用などと言うて、立つようになったら、それは、私は金光大神の、言うならば化けもんじゃとこう思うです。

 ね、これはあの金光様の、教師に対する、の、者のこれは、あー、そういう一つの、うー、しっかりしたそういう信念をつくっていかなきゃならない。
 今日、私、直接お風呂入らせて頂いたのが、あー、6時すぎだったでしょうか、7時頃だったでしょうか。お風呂が終わってから、ちょっとあの、御祈念前まで、休ませて頂こうかと思うて、床に入らせてもろうた。ところが、なんかしらん今日は、長くなったけど、ひっかかってしょうがなかった。

 そしたら神様から、うー、一本ばの下駄を履いておる、ところを頂いた。しかも、その一本ばの下駄が、真ん中になって、二つあるとの片一歩の一つのはが、抜けておる、って一本ばである。はは、私の今のこの状態は、こんなんだな。起きらなければいけないと、私はそのとき思うた、ね。
 私は、あの足元が大事といったようなことなんかは、えー、例えば、許されて眠る。ね、許されずに眠る。それは、全然その、おー、おかげを頂いてという気持ちが違う。ね、心に引っかかりながら、それは、心に引っかかりながら、神様をここに思うておるからだけれども、本腰入れてないときは、ちょうど、一本の二本のはが、欠けておるようなもので、これはなかなか歩きにくい。

 本気で、足元を大事にするとき、本気で、修行させてもらうぞというとき。これはちょうど、真ん中に、すえた一本ばの下駄を履いておるようなもの。ね、ですから、その、足元に用心をするから、コケもしない。いや、むしろ登りにくい、山道でも、あの(        )方達は、一本ばで、山の中を歩きまわったそうです。ね、一本ばの方が、歩きよい。同時に、油断はだから禁物。油断はできない。けれども、歩くのには、歩きよいと言われておるが、私共、信心させて頂く者の心がけとして、いつも一本ばの下駄を履いておるような気持ち。そういう気持ちで、おるようであるけれども、ちょっと油断をしておる。ね、その一本ばの下駄が、どうも、今日の私の夕方のようなものである。

 はっと、私は思うてから、はあ、今夜は休んじゃいけないなっと、起き上がった。起き上が(   )、家内が、まぁ、けたたましゅう私の部屋にやってきてから、(  )がみえておるという。それこそ、そのまま飛び起き、まぁ、ほんに寝ちゃいけなかったんだなと思うた。おかげでそのまま、休まずにすんだんですけれどもです、ね。

 こちらのはまり方一つ。始めから、もう一本ばの下駄を、真ん中にすげた一本ばの下駄を履いときゃ、こけはせん。心も緊張しておる。ね、そういうものが、信心には、大事だとこう思う。同時に、今日、私共が、例えば御道の教師というか、お取次ぎをさせて頂くという者の、心がけ。ね、もう本とにここに座っておることが、んー、おっくで、立とうごとばっかりあるときには、それこそ、これはもう、だるまの化け物、みてくんなんせである。

 ね、そう例えば神様にひねくられても、仕方がない。ね、私は、今日、私が感じた、ね、ほんとにしみじみ、あれを思い、これを思い、有り難いなあと思わせて頂く、それこそ、ここを一分間でも、空かすことがおしいような一日であった。ね、そういう、私共は、おかげを頂いたら、今日新聞に、私が心がけておるようにです、ね、あれを思い、これを思い、充実した幸せを感じれれる日と出ておった。私の心につながっておるという、そのことにも有り難いものをいつも感じるのですけれども、ね、信心させて頂くと、やっぱりちょっとした、そういうその、心を

ハルコ